私は、一般的に夫婦で話しあっての協議離婚ではなく、家庭裁判所での調停離婚です。
調停は、2ヶ月に1回程度裁判所で行われました。
お互いに弁護士も入り、裁判所へ7回ほど足を運び、離婚するまでに1年程かかりました。
当時、調停で1年はあり得ない期間だと言われていました。
だいたい2~3回で終わるか、審判→裁判へと進まれると言われました。
調停は、相手方の居住地管轄の家庭裁判所で行われます。
申立人の私は愛知県の実家に戻っていたのですが、相手は関西在住。
裁判所での調停のたびに、関西に出向いていました。
調停離婚(夫婦関係調整調停)・・・当事者同士で話がまとまらなかったり、話しが出来ない時に家庭裁判所に申し立てをして、裁判所の調停員(男性、女性各1名)立会いのもと話し合うこと。当事者同士が顔を合わせることはありません。調停員を通して話し合いをします。話し合いの内容は、離婚についてだけでなく、親権、養育費、面会交流、財産分与、慰謝料についてなども話し合います。
子ども(5歳、4歳)に離婚の説明どうする問題
そんなバタバタしている中、子どもへの説明はどうする?っと悩みました。
子どもが小さかったこともあり、あーだこーだ説明しても理解できないだろうな!っと思い、パパとはもう一緒に住めない!っとだけ伝えました。
長男は父が大好きだったので、思い出しては、シクシクと泣く日がしばらくありました。
次男は、あまりピンときていない感じ。
幼かったこともあり、父は出張が多く、元々あまり家にいない人だったことも影響があるかもしれません。
最初の頃は、長男に『なんで一緒に住めないの?』っと聞かれることもあったけど、私の体調が悪くなってしまうから!(これホントの話し)っとか、大きくなって色んなことが分かるようになったら話すね!っと繰り返し伝えていました。
離婚後の子どもと父の関係
父とは、数ヶ月に一度は会っています。(一般的には面会交流と言うらしいけど)
回数に制限は設定せず、父親と子どもの都合が合えば泊まりでの旅行も行っています。
5歳の長男は、とても喜んで出かけていました。
父と会って帰ってくると、夜布団の中でシクシクと泣いていることも。
そんな時は『ごめんね!一緒に住めなくて。でもまた会えるからね!』っと伝えていました。
次男は、会っても会わなくてもどっちでも良い!っと言っていましたが、会うとおもちゃやらゲームやら買ってもらえ喜んでいたので、やっぱり嬉しかったんだと思う。
子どもに背負わせた傷と前向きに生きること
子どもが、父親のことを好きという気持ちは大事にしてあげたかった。
離婚の説明をするにしてもしないにしても、結局は一緒にいられないことに変わりはなく。
幼い子どもの心に負わせてしまった傷は大きいと思う。
でも現実は変えられない。
生活が一変して笑えない時期もありました小学1年生に勉強できなくてごめんね!っと言われた母は私です。
正直なところ、なにが正解かなんて分かりません。
でも、笑えない時期を過ごして気がついたことは、
今、一緒にいる母親である私が、元気で前を向いて生きているかどうか?だと思った。
うちはなんとなく旦那が返ってこなくなり、上野古賀小学校に上がる前に離婚、それまで保育園に通っていた時は子供同士名前で呼び合ってたけど、小学校に上がると名字で呼ばれることが多くなるので、旧制に戻して小学校に・・・。すると保育園のお友達が何で名字が変わったのか長女に聞いて・・・。その時の長女の返事。お父さんとお母さんがけんかしてお母さんが勝ったからお父さんが出て行ったて答えてた。子供ってしかっり見ているんだと思いました
色々とあったのでしょうね。
子供は一緒にいる親が笑顔で愛してくれることが一番です。
わたしの親も離婚して、子供は母親と暮らしましたが…
わたしは母に父の悪口をいわれ、わたしは父は悪い人だと認識せざるを得なかったです。
妹たちが父と会っているときに「わたしはなんであえないの?」と聞いたら「お前は嫌われているんだろう」と言われたこともショックでした。
母はわたしを味方につけておきたかったのだと、今は思います。
ゆうさんちはゆうさんが明るい方で、さっぱりしていらっしゃるから、きっと息子さんも健やかなのかな(*^-^*)
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